2008年11月22日

へっぽこSFファンによる、SF初心者のためのSF案内(第12回)

けいりん(以下「け」):言うな! 何も言うな! 全部分かってるから!

ケイリソ(以下「ケ」):………フッ。

け:そんなお前見下し目をしながら鼻で笑わなくともっ!

ケ:いや別に言いませんよ何も一年近いじゃねーかとか不定期宣言した瞬間にこれかよとかていうか今更再開かよとかそんなこと何も言いませんよ思ってるけど言いませんよええ。

け:息継ぎぐらいしろよっ。コワいよっ!

ケ:いやあ、長期休暇の穴を埋めるにはこれくらいぎっちり行かないとダメかと思って。

け:ぐぐっ。オマエはそんなこと気にするなっ。気持ちなら入れ替えたが反省はしないぞっ! さあどんどん行くのだっ!


『われはロボット』アイザック・アシモフ/ハヤカワ文庫

ケ:……またえらい古典を。私でも知ってますよ。

け:うん。でも、案外知られてないらしいからな。映画化までされたのにな。

ケ:そーいえばしょっちゅう怒ってますねえ、映画化されたのにどーのこーのって。

け:そうなんだよ。例えばまだ紹介した事のない作家だが、オレのお気に入り作家にフィリップ・K・ディックというのがいて、この人の作品は実は非常にたくさん映画化されている。ところが、傑作『ブレード・ランナー』をはじめ、『トータル・リコール』、『マイノリティ・リポート』、『ペイチェック』など、それなりに話題になった映画もあるのに、その原作者たるディックについては名前すら知らないって人が少なくない。そもそも映画の宣伝の時に俳優やら監督の名前は出ても、原作者の名前はかけらも出てこない。ディックといえば、若干マイナーではあれ、SF界にとどまらない評価を得ている作家であるにも関わらず、だ。
 もっとひどいと思ったのはスピルバーグが映画化した「宇宙戦争」だな。H・G・ウェルズ『宇宙戦争』といえば、子供時代に胸を熱くして読んだ、という人も少なからずいるんじゃないかと思うし、ウェルズという作家だって、単にSFの祖、というにとどまらず、進化論全盛期のイギリスの文明批評家として、現代文明にもすくなからぬ影響を与えた一人のはずじゃないか。ウェルズを知っている、というのは、そう言う意味ではもはや趣味の問題ではなく、教養の問題だ。なのになのに、なんだって監督の名前と俳優の名前ばかり大々的に喧伝されるかなあ。あげくの果てには旧映画化作品との比較ばかり狂ったようにされて、原作との関連に触れているものはごくわずか、ときた。
 アシモフだって、テレビ番組『トリビアの泉』冒頭の言葉を述べた人として、もっと有名になっててもいいはずなのに、映画『アイ,ロボット』の宣伝で名前を見かけた覚えがないじゃないか。『アンドリューNDR114』は言うに及ばず、だ。
 そういやSF大会で話を聞いたデイビッド・ブリンも、「映画化の話があった時、『映画化されればあなたの本はもっと有名になってもっと売れますよ』って言われたけど、そんなこと全然なかった。約束を守れ! 原作者にペイしろ!」と言ってたな。まあ笑いながら言ってたし、あくまであれは冗談だったわけだが、半分くらいは偽らざる気持ちじゃないのかな。

ケ:熱いですね。いやまあそう思う人もいるってことで。

け:話ふっておいてさらっとながすなよー。

ケ:いやだってみんなディックとか知りませんて。名前出したって宣伝効果とかゼロですよ。

け:ぐっ。

ケ:だいたいそんなに語るくらいならどうして褒めてあげないんですか。スピルバーグが言ってましたよ。「SFファンは、どーせ何を作ったって褒めてくれない」て。

け:……スネるくらいなら作んなきゃいいんだい、バーロー。

ケ:だいたいSFファンってSF映画に厳しいんですよね。感動の話題作『アルマゲドン』とか、SFファンだけはボロクソに言うじゃないですか。

け:知らねーよ、見てねーもん。

ケ:そう言う拗ねた態度がSFファンを孤立させてるんですて。

け:うるさいうるさい、作品の話に行くぞっ!

ケ:すぐそうやって逃げる。

け:もういいっちゅーの!
 あー、まずは、「ロボット3原則」の話だな。

ケ:聞いた事はあります。

け:うん、ジャンルを問わず、多くのSF作品、SF的要素を持った作品に使われているから、聞いた事がある人も多いだろうと思う。改めて紹介しておけば、

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
   (小尾芙佐訳『われはロボット』より引用)


 ……ということだな。この原則を提唱したのがアシモフだ。というか、実際には編集者がアシモフの作品からこの原則を抽出したらしいが。

ケ:現実にロボットが作られる時も目標になりそうですね。

け:まさにその通り。そのことは、アシモフの全作品に通底するするテーマにも関連している。それはアシモフ自身によって、次のような言葉で表現されたものだ。すなわち、「ナイフには鞘があるではないか」

ケ:?

け:あー、先走りすぎたか、すまんすまん。まあ要するに、「危険なものであっても、それを危険でなく扱えるようにするのが人間の知恵だ」という意味の言葉なんだが。

ケ:はあ……それとロボットがどう関係するのでしょう?

け:うん、それを理解するには、我々にはあまり馴染みのない、欧米人の「ロボット」に対する恐怖を知っておいてもらう必要があるな。詳しく語ると長くなるしボロも出るので簡単に言っておけば、彼らは、「人間に似た、人間のようなものを、人間が作ること」に対して、宗教的な恐れを抱いている、ということだ。それは「神の被造物でない=魂がない存在が動き回ること」への恐怖としてゾンビの恐怖とも通じているし、一方では「人が人のごときものを作る=神の領域を侵すこと」への恐れとして、クローン反対論とも通じているもので、いずれにせよ「神に作られた人間」という宗教観を長年抱き続けてきた民族に固有の恐れだと思う。昨年、世界SF大会で話を聞いたグレゴリイ・ベンフォードも、「日本人にはすばらしい性質がある。それは、鉄腕アトムのおかげで、ロボットに恐れを抱いていないことだ」と語っていた。鉄腕アトム以前に、アミニズムやフェティシズムの香りの残る多神教国家である影響も大きいと思うのだが、それはともかく、欧米人にとっては、わざわざそう語らなければいけないほどに、ロボットへの恐怖はデフォルトで備わっているものだと考えてほぼ間違いはないと思う。
 ただし、この恐れは無意識的なもので、実際にはもうちょっと現実的な形で語られる。すなわち、「自立的に動くロボットは危険ではないか」ということだな。アシモフはそれに対して、「ナイフには鞘があるではないか」と語った通り、将来的にロボットに組み込まれるべき「鞘」を、三原則として提示してみせたわけだ。

ケ:なるほど。自文化への挑戦、みたいな意味合いがあるわけですね。なんだかかっこいいなあ。

け:まあもっとも、実はロボット三原則なんてたいしたもんじゃない、家電三原則みたいなもんじゃないか、って話もあるらしいがな。

第一条 家電製品は安全でなければならない。
第二条 家電製品は使いやすくなければならない。
第三条 家電製品は壊れにくくなければならない。


 ってわけで。

ケ:ははは。

け:前置きがすっかり長くなってしまったが、話自体はめんどくさい主義や主張とはそれほど関係がない。この三原則が不可避的に組み込まれたロボットが完成している時代を舞台に、それらのロボットが巻き起こす騒動や、3原則にも関わらず起こってしまった事故の謎を解く、という話がほとんどで、そう言う意味ではライトなミステリみたいな面白さがメインだな。
 ただ、後半に行くとテーマの核心に迫った話も多くなってくる。最後に収録された「災厄のとき」などはその白眉だな。3原則を、個々の「人間」ではなく「人類」という概念に拡張した電子頭脳は、一体何を人類にもたらすのか、という物語だ。
 ちなみに映画『アイ,ロボット』の元ネタもおそらくこの辺りなんだが、原作があくまで「ロボットがもたらすもの」に肯定的であるのに対し、映画版はむしろ否定的な描き方をしている点が大きく違う。3原則を回避可能なものとして描いてしまっているのも大きなマイナスポイントだが、上記のような主張を持った作家の作品を原作にしながら、あの描き方はあんまりなんじゃないかと思う。冒涜に近い、というかな。

ケ:そこはほら、作家性と言うか。

け:いや、もちろん、原作を裏返してみせることに意味がないとはいわんよ。それはある種の主張としても、またアイロニーとしても、非常に有効な表現足りうると思う。ただ、それも上手にやった場合の話だろ。あの映画には優れた批判精神も、アイロニーも感じることはできなかったなあ。ちょっとモチーフだけ貰ったアクション映画、ってだけだったような。アクション映画としてはそこそこ面白かったけどさ。
 まあ、映画を作った人の主張はともかくとしても、アシモフの、こういう徹頭徹尾文明に対して肯定的な部分には、ちょっと取っ付きにくいものを感じる読者もいるとは思う。けれども、アシモフの文明肯定の根底にあるのは、非常に熱い人間肯定だ。二度の大戦を経てなお、人間はもっとましなものを作れるはずだ、人間の知恵とテクノロジーは幸福に寄与できるはずだと言える力強さ。それは人間存在への信頼、そのものだ。日本のSF作家が「戦後の焼け野原」から出発し、悲観的な未来像を描くことも多かったのと比較して、「戦勝国の奢り」を読み取る人もいるだろう。だが、人間の写し絵でもなく、人間の罪の象徴でもない、人間の友としてのロボットを描いたアシモフの作品には、国家や民族という枠に縛られない、本当の「人類」という概念の萌芽があるように思う。
 文明の矛盾を全く感じずにいることの方が難しくなってきている昨今こそ、「ナイフには鞘があるではないか」という言葉の意味をじっくり考え、アシモフが描く「ナイフ」と「鞘」の葛藤史ともいえるこの短編集を読む意味があるんではなかろうか。

ケ:おお、なんか社会派的なまとめ方!

け:茶化すなよ。
 あ、ちなみにそんな難しい話とは全く無関係に、俺の一番のお気に入りは最初に収録された「ロビイ」。開発初期の子守り用ロボット、ロビイと、八歳の少女グローリアの、心温まる交流を描いた小品だ。まずはこれだけでもためしにどうぞ。

ケ:ではまた次回〜。

け:できれば来週くらいに〜。
posted by けいりん at 15:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 初心者に薦めるSF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>できれば来週くらいに〜。

たぶん来年の10月頃の更新と見た!
Posted by えっけん at 2008年11月24日 20:20
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