2011年02月27日

想いだけが頼る全て

第8話観る前に第7話行っちゃおう!
ってことで『魔法少女まどか☆マギカ』第7話「本当の気持ちと向き合えますか」感想。


冒頭、キュゥべえを詰問するさやか。
「説明を省略したけど」「聞かれなかったからさ。知らなければ知らないままで、何の不都合もないからね」(しれっ)
よく言いやがる!
あ、いや、前回分の感想で述べた通り、私は「魂がどこにあろうとそんなのいいじゃん」派、ではあるだけど、一方で「知らなくていいことなんてない」という信念も持ってたりするんで、このキュゥべえはやっぱいかんと思うわー。しかも故意だよなあ、これ。その後も、肉体に痛みを与えて納得させるとか、どっから見ても悪者です>QB
ところで目をつぶるだけとは言え、表情動いたの初めてじゃない? 前にも目くらいつぶってたっけ? ちょっと自信ない。
いずれにせよ、目をつぶってるだけではあるんだけど、「あまりオススメはしないけど」って言ってるとこのしたり顔、憎々C!!

あと、このシーンでさやかの机の上の棚に、カエルのぬいぐるみと王冠のようなものが見えるんだけど、この組み合わせはグリム童話「かえるの王様」を連想させる。
http://bit.ly/hGBOUa
これ、今ひとつしっくり来てなかったんだけど、夕べ布団に入った瞬間ひらめいた。さやか=蛙、恭介=お姫さま、という風になぞらえられてるんじゃないか。ちょっとタイミングは違うけど、蛙にかえられた=体を変えられた、って、ソウルジェムに魂を移され、肉体をゾンビにされた、っていうことでは。で、蛙は蛙であるが故に池に落ちた鞠を捕ってくることができる=さやかは魔法少女になる代償として、恭介の手を治すことができた。とすると、お姫さまは約束を破って求婚をはねのける=恭介はさやかに振り向かない。この後の流れを暗示してる形だよね。蛙は壁に叩き付けられて魔法が解け、お姫さまと結婚できるけど、さやかが元に戻るすべはなく、壁に叩き付けられたら死ぬだけだろうな、多分。

さて、Aパート感想に行く前に、ちょっと脱線しとくけど。
今作に限らず、近年版の魔法少女ものや戦闘少女もの全般にいえることだけど。以前から、彼女ら「戦う少女」には、ぶっちゃけていうと、(制作者が意図したものかどうかはともかく)性風俗業従事者のメタファーとしての側面がある、と思ってた。世界の影の側に存在し、人知れず、「放っておくと世界の平和が保てなくなるような力」を相手取ることを、まるで当然のことのように課せられる少女たち。それが「少女でなければならない」理由は、それが「男性の性欲の解消」のメタファーだからではないか。あるいは最初からそのような含みを持たない場合ですら、それが「少女」であることで、物語はそのような意味合いと関連を持たずにいられないのではないか、と。
そう思うと、QBって女衒屋だよねw
考え過ぎかもしれない、少なくとも例えば「ハートキャッチプリキュア」とか、表立って戦っている戦闘少女には当てはまらないかもしれない。
でも、今作に関しては、特に今回を観ると、制作者自身がこのメタファーにかなり意識的なんではないかな、という気がする。

というのを予め述べておきつつ、Aパート。
学校に来ないさやかを案じるまどか。屋上でのほむらとの対話。
まどかは「ほむらちゃんはどうしていつも冷たいの?」と聞くけど、残念ながらほむらのいうことは正論。感謝と責任感、罪悪感と義務感、その手のものって混同してもろくなことはない。ろくなことはないんだけど、それでも「こんなのひどい」と思うまどかの気持ちは分かる。酷いかどうかって、しばしば「正しいかどうか」とは関係ないんだよね。ハガレンの言葉を逆転していえば、「真理は正しいが、残酷だ」ってこと。
ただこのシーン、目元はは見えないし、見えたとしてもいつもの無表情なんだろうと思うけど、ほむらは「そうね。きっともう人間じゃないから、かもね」と言いながら、心で涙を流しているような気がしてならない。逆に、ここで目元を映さないのが上手いんだよ。これが演出ってもんだよ。

ひきこもるさやかを見舞う杏子。教会での杏子の過去の告白。
杏子がいつも何かを食べてるのって、最初はいわゆる「グレートマザーの負の面=呑み込む母」と関連して、「女の魔性」を意味してるのかな、なんて思ってたんだけど、この告白を聞くと、どうやら口唇期固着的なものなのかな、と。
http://bit.ly/f1fF17
リンク先はフロイト的かつ簡潔過ぎるけど、もうちょっと象徴的な捕らえからをすれば、「母親からの愛情の不足」の影響による、攻撃性、搾取的な性格、ということになるかね。
実際、回想人形劇の中に、母親の姿ってほとんどでてこないんだよね。幸せなシーンでは手をつないでるけど、不幸な時には姿を現さない。これって、不幸せな中にいる時、母親が充分に支えてくれず、父親自身は教会のことにかまけていた、ってことを表してはおるまいか。実際、「頼りにならない母親」を持った女の子って、しばしば「自分が母親代わりをしなきゃ」ってがんばりすぎちゃうことがある。モーリス・センダックの絵本『まどのそとのそのまたむこう』なんかもそういう女の子の物語だけど、この杏子にもそういう影があるように思う。
そしてまた、「魔法少女=性風俗のメタファー」って話をここで当てはめると。
うわあ。自分で言っといてなんだけど相当えぐい話だよなあ。
苦しい家庭を助け、また人の関心を引くために自らを犠牲にする少女。
その事実を知って糾弾することしかしない「厳格な父」。
そりゃ性格も歪みます。つか、歪みで済めばいいほう。

次、林檎。
以前ほむらにポッキーを勧めたシーンからも、食べ物を勧めるというのは杏子にとっての「友好の挨拶」であることは明らかなわけだけど、ここでの林檎にはそれ以上に意味があるような。
教会が出てきたから、ってわけじゃないけど、創世記のアダムとイブの物語、あれの「知恵の実」の象徴としての林檎、だったりしないかな。
知恵の実、聖書に林檎って書かれてるわけじゃないけど、何となく林檎として描かれることが多いそれは、それ自身「性的な知恵」とも無関係じゃないけれども、ここではざっくり、もっと広い意味での「知恵=知識」と考えただけでもなかなか意味深い。
杏子がさやかに林檎を勧めるのは、これからさやかの知らない話をすること、そして「自分は気がついた(杏子なりの)真理」を伝える、ということを表しているし、それが拒絶され床に投げ捨てられるのは、「さやかはそれを受け入れない」ということを予め示してるんではないかと。杏子が怒るのも、もちろん「飢えを知る者としての怒り」でもあるんだろうけど、そういう、自分の根幹みたいな物を否定された怒り、というのもあるんじゃないか。
不正な手段で手に入れた林檎を食べられない、というのも、杏子の生き方は不当に人を犠牲にする、だから受け入れられない、ってことだよね。そして否定された杏子は、すがるように林檎にかじりつく。他の生き方など知らないのだ、私はこれでいいんだというように。

と言ってる間にBパートに突入してるわけだけど、ここ、CMなしでつながるよな。CMちょっとずらせなかったのかな。ずらしてもいいような。

杏子との話で自分の立ち位置を確認したさやか、何食わぬ顔で登校。
最近見かけないなあと思っていた仁美から衝撃の告白。
どうするんかなあ、と思ったんですが。
ここでまどかの待ち伏せですよ。
この後、泣きながら喋るさやか、心底痛々しいと思うと同時に、「性風俗のメタファー」ってのを思い出さずにはいられない。
だってさ、「そんな価値無いのに」だよ? 「こんな体で抱きしめてなんか言えない」だよ?
この間に挟まる池の描写、なんだろね? きっと意味があると思うんだけど。

さやかの戦いを見守り、助けようとさえする杏子。
自分が捨てた生き方を貫こうとするさやかを捨てておけないんでしょうなあ。
戦闘シーンの影絵演出は素晴らしい。
何が素晴らしいって、実際は展開されているはずの凄惨さを、隠すことでかえって想像力をかき立て、際立たせている上に、最後のほう、さやかの流す血が涙のように見えるとか。全体が悪夢のような雰囲気に彩られているのも、実に。
「痛みなんて簡単に消しちゃえる」=「こんな体」ってこと。狂ったような笑いが、「痛みなんか簡単に消しちゃえる体になってしまったことへの、心の痛み」は消えないことを際立たせる。
「こんな体」をあまり悲惨と思ってない私から観ても、ここは凄惨。
きっとさやか、本当は血まみれだぜ。
血まみれで笑ってるんだぜ。
うわあ。
ほら、見せられないほうが酷い絵が思い浮かぶw
全然違うといやそうなんだけど、エヴァの「男の戦い」あたりの暴走シーンを思い出した。

てなわけで、晴れて観れるぜ、次回第8話、「あたしって、ほんとバカ」・・・・っておい、まだ悲惨続きかよ>さやか。なんかもう、さやか魔女化のフラグが立っているような気がして仕方がない。
posted by けいりん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 魔法少女まどか☆マギカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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