2011年06月18日

Auch ein Klaglied zu sein im Mund der Geliebten ist herrlich

一年前の6/13、午後10:50ごろ、無人探査宇宙船「はやぶさ」が地球への帰還を果たしました。
7年間、60億キロの旅を終え、カプセルを放出し燃え尽きるはやぶさの姿を、ネットでの生中継、テレビの録画画像などでご覧になった方も多かったことと思います。
多くのアクシデントに見舞われ、何度も帰還を絶望視されながらもその使命を全うし、けれどもその傷の深さのために「大気圏で燃え尽きる」という選択を余儀なくされた「はやぶさ」の姿は、大勢の人々の感動を呼びました。
もちろん、私も胸と目頭を熱くしたうちの1人です。



二週間程前、あるマイミクさんの日記で、その方のご友人が若くして亡くなったことを知りました。
人の死は、いつも私を混乱させます。
自分自身身近な人をなくし、友人の言葉に慰められたこともあるのに、一体何を言っていいのか分からなくなってしまいます。
ただ、とてもいたましい、と思いました。

少しして、その亡くなった方が、当初思ったよりも私と縁の深い方であることが分かりました。他にも複数の友人知人にとっての、大切な友人だったのです。
お会いしたことはなかったですし、生きてらしたとして今後会う機会があったかどうかも分かりませんが、あちらこちらからその方の生前の様子や間接的な私との関わりを知り、その方のことを少し身近な存在として意識するようになりました。

以前にも、直接知ることのなかった相手の死を惜しむことについて、自分自身どう捕らえたらいいか分からずに長文を書いた事があります。

3ヶ月前の震災のような大きな規模の出来事も、やはり同じでした。
知人の安否を確認し安心している自分と、知人ではない人の多くの人の死を悼む自分。その間はどうつながっているのか。どうつないだらいいのか。
私は今でもよく分からずにいます。

ただ思うのは、彼らは決して帰ってこないということです。
そしておそらくは全ての人が、やるべきことをやり終えてなくなったのではなく、道半ばで人生を断ち切られたのだということです。

はやぶさの物語(それは現実なのですが、今や我々にとっての原風景の一つに組み込まれた「物語」であると言っても差し支えないように思います)が感動的なのは、「苦難の末使命を全うし、美しく散る」ということが私たちにとっていわば「見果てぬ夢」だから、という側面もあると思います。
そのような「幸福な死」を迎える人は、まずいません。
私たちは何かを残し、何かを悔やみ、何かに捕われながらこの世を去って行きます。例えばキリスト教で死の前に告解を行うのも、そうしたものから少しでも楽になりたいからではないでしょうか。

私の母は「何でも感謝! 夫に感謝、息子たちに感謝、お医者さんに感謝、薬に感謝・・・etc」といったことを書いた紙を残して死にました。
それはとても感動的なことで、私はそれを見た時ぼろぼろと泣きました。そして、そうした言葉を残した母の気持ちを無にしないように生きたい、と思ったし、今も思っています。
ただ、母自身が本当にその時感謝に満たされていたかということに関しては、私ははなはだ懐疑的です。
母の苦しみ、悲しみ、不安、絶望、そうしたものが「心持ち」ひとつでくるっとひっくり返ったとは、どうしても思えないのです。
たとえば苦痛と迫る最期のために、何か脳内物質が出て多幸感に満たされたとか、そういうことなら分かるのですが。
私は、母はそう思わなければ「やってられなかった」のじゃないかな、と思っています。
半ばで断ち切られる生を少しでも意味あるものにするためには、このような、感動的なまでの「(敢えて言いますが)きれいごと」に身を委ねざるを得なかったのだと思うのです。
それが母の言葉の価値や、私たちが受けた感動やメッセージ、そうしたものを損なうとは思いません。
ただ、感動し、今後の自分に生かそうとする一方で、母の苦しみと嘆きを「なかったもの」にしてしまうのは、私には何か違うように思えるのです。それでは私は母の死を悼んだことにはならないのではないかと。



私は悼みます。
断ち切られた全ての命、志半ばに倒れた全ての者たち、形にならず失われて行った全ての未来を。
私にとっては、その絶望を、嘆きを、忘れないことこそが、「彼ら」にもう一度会える、唯一の可能性だからです。
思い出せることを確実に思い出すことだけが、「彼ら」を私の元に呼び戻してくれるのです。
そして、会うことのなかった人に私が会うための唯一の方法は、その「欠如」を忘れないことなのだと思います。
会えなかったことを。もう会う機会は永遠に失われたという事実を。それを心に焼き付けるということ。
それは小さな自己満足でしかありません。
けれども、私には、そうする以外に、どうやら道はなさそうです。

そして、もしそんなささやかな哀悼が、歌になりうるなら。
それが、一年前天を横切った光に似て美しいものであるように私は願い、そのための努力を惜しむまいと思うのです。




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6/16、父が亡くなりました。mixi日記に上記記事をあげた、わずか数日後の事でした。

哀悼の意とともに、ここに再掲しておきます。
posted by けいりん at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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