2006年08月06日

愛と責任

 子供を育てていると、時々思うことがある。
 子供を持つということはいろんな可能性を引受けることだと。

 いや、子供に限らず、人を愛するというのはそういうことかもしれない。

 望んだ以外のことがらをも、受け止め、引受けること。
 もちろん可能な努力や反省はするべきだけど。
 それらの届かない出来事、意志や能力、理性の及ばないことすらも受け止めるという覚悟、みたいなものは、もしかしたら、決定的に重要な要素かもしれない。

 「あなたがこんな人だとは思わなかった」なんて、トラブルの責任を全部相手におっかぶせちゃうような発言を聞くことがある。

 だが。
 たとえ明らかに相手が悪いって場合であっても、「愛する」というのは、「トラブルに対して一定の責任を負う」「トラブルがあった時相手とともにそれを乗り越えようと努力する」という決意を含むことなのではないか。

 もちろん程度というものはある。
 どうにもならない場合だってある。
 「話の通じない関係」というものはあるし、「修復不可能な関係」とか、もっと悪い場合には「いっそ壊した方がましな関係」というものもあるとは思う。

 だがしかし。
 そうであっても。
 その結果訪れた別れや悲劇を全部相手の責任にして私は悪くないって顔して、本当にすまされるものだろうか。

 すまさないとやってられない場合もあるだろう。
 しかし「一時であっても自分がその人を愛した(または愛そうとした)」という事実は残るし、そこにはやっぱり一定の責任が伴いはすまいか。

 別に無駄な罪悪感を持てといっているわけではない。
 ただ、「自分の行動の結果もたらされた自分の感情に対して責任を持てるのは、最後は自分だけだ」と言いたいだけで。

 「自己責任」というのは、まずはこういう、「自分の手の届く範囲のことを全面的に他人のせいにはしない」っていう態度から始まるものだと思う。
 他人にたいしてパッケージングされた「自己責任」を押し付ける行為など、それこそ責任感に欠ける態度なのではないだろうか。
posted by けいりん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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