2004年07月06日

ジェンダーフリーふたたび

うーん。続きを書く気はなかったんだが。
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例えば、「男の子用品は青、女の子用品は赤って決まってるの、おかしくない?」という疑問はもっともで、何となく親戚や親がそういう決めつけをしているのってなんだかなあと思うことは、僕にも当然ある。

だからといって、「そもそも色分けされた商品があるのはおかしい」というのは、なんつーか本末転倒なんだよな。

もちろん、たとえば黒いランドセルと赤いランドセル「だけ」が(最近は青とか茶色とかいろいろあるけど、主流はこの2色と思う、やはり)製造、販売されている背景には、無言の前提として「男子用/女子用」という決めつけがあるのは確かで、そこをつくのに意味がないわけじゃない。

しかし、その結果が「色分けの廃止」=「みんな同じ色」で本当にいいのか。

重要なのは、

1.男が赤、女が青いものを持っていても、それを「個性の問題」として割り切る態度が育つこと

2.多様な色からの選択の結果として商品の色を決定できること

この2点なんじゃないのか。

トイレのマークの色分けぐらいは、「見分けやすさ」に免じて見逃してもいいような気がするけど、まあ同一色にしてもそんなに困んないんじゃないかなという気もする。色違っても間違って入った経験のある僕としては、この「見分けやすさ」がそれほど決定的かつ重要な事柄とは思えないのね。

あともう一つ、男らしさ、女らしさが先天的なものだとすれば、その結果として「むいている職業、役割」がきまっているはずだ、と言う主張があって、なるほど前回の記事ではそれに対する有効な反論はしていないのだけれども。

結局これは「性差の個性差への埋没」によって解消される問題でしかないんだよね。たとえば神取忍と僕とどっちが格闘家に向いているかって言う話。現にある男より格闘家にむいた女がいて、それを目指したいと思ったとき、「女だから」と言う理由で「格闘家になろうとすること」を阻まれる理由があるかね?

まだまだ女性の多くが結婚退職したり、出産育児によって少なくとも休業したりするような現状で、「雇用機会均等」や「給与の平等」が正当かどうかというのはまた別の話。そのうちやるつもりだけどちょっとかかるかも。
posted by けいりん at 16:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 恋愛、性、性差 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ランドセルに限らず、所持品の色分けを強制すると、痴漢や変質者にマークされるんですけど。
ってゆうか、「色分け」すること自体が、お下がりや使い回しをしにくくさせて無駄な出費をさせるための業者の陰謀だと思います。
ついでに、スカートの強制もやめた方がいいです。
真冬にスカートで歩かされる身にもなってみてほしいです。
服装や所持品で性別が一目で特定できると、性犯罪に遭う確率が高くなるのです。
ジェンダーフリーとか、フェミがどうこう言うんじゃありません。
Posted by 通りすがり at 2005年12月17日 17:45
なるほど、面白い視点ですね。
幼い娘をもつ身としてもいろいろ考えさせられます。「女の子はカワイイ服を着せる楽しみが会っていい」なんていういい方もありますが、ペドフェリアな性犯罪も増えている昨今、女の子にあまりカワイイかっこをさせておくのもリスクが高いと行ったところでしょうか。

ところでスカートってそんなに「強制」されてるものなんですか? いや、確かに中高生の制服はスカートですけど、彼女らが選択する短さ&生足率を見ていると、「真冬にスカートで・・・」というのは彼女らの場合当たらないのではないかと思ってしまうのですが。もちろん「女子中高生の文化」として、無言の強制力があるのは想像できますけど、それはむしろ彼女ら自身の問題だし、制服としてズボンも選択できるようになったところで、そういった文化自体が改まらないと結局自由度はあまり変わらないですよね? いっそズボンを強制にしてしまうと性犯罪も防げて一石二鳥かもしれませんが、私の主張上そっち方面の強制も「なんだかなあ」といったところです。
Posted by けいりん at 2005年12月28日 15:27
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