2012年09月01日

『お弁当を食べながら』のこと

9/8、混声合唱団アミーゴ発表会で、私の編曲した「お弁当を食べながら」が演奏されます。私の編曲作品としては二度目の実演となります。
以下は七月にTwitterで連続ツイートした内容ですが、こちらには投稿されていないようですし、まとめておきます。長いです(汗)

原曲は岩崎俊一作詞、菅野よう子作曲による「ほっともっと」のCM曲。歌っているのは女優・歌手の清浦夏実。
CMでは、様々な職種、年齢の人が、一人で「ほっともっと」のお弁当を食べる映像の背景に、この曲のサビが流れていました。

サビの歌詞は「手から手に渡される暖かいリレー/食べてる私は一人じゃない」というもの。かつてお弁当を作ってくれた人たちを歌った前半と合わせて、それらの人がお弁当に込めた気持ちが、ホカ弁の温もりの中に息づいている、という事が歌われています。一人ぼっちでお弁当を食べていても、ちゃんとあの愛情は伝わっている、ということですね。お弁当屋さんのCMにふさわしい内容と言えるでしょう。

もちろん、これは「弁当屋が宣伝のために述べたキレイゴト」です。弁当屋で働く人の多くはこんな事考えてもいないでしょう。
早く終われと念じたり、配偶者の安月給に嘆息したり、終業後のデートの事で頭が一杯だったり、「ビール!ビール!ビール!」だったり。つい殺害してしまった夫の死体処理について考えている人だっているかもしれません。

しかしなお、私は思うのです。彼らの内心に関わりなく、それが一定以上のレベルの仕事であるなら、受け手に伝えられる「大切な何か」は、間違いなくそこにあるのではないかと。

例えば今も食事が出来ている、という事実。例えば今食べているものの味に対する感受性。例えば今自分が感じる寂しさ。例えば一人の生活にかける想い。
それらは確かに、かつてお弁当や食事を作ってくれた人によってもたらされたものではあれ、今食べているお弁当によって、立ち上がって来たものたちではないでしょうか。

そしてまた、お弁当屋さんはもう一つ、大切なものを繋いでいるはずです。食材を作ったり育てたり獲ったりした人たちと、それを食べる人の間。家庭や個人が担う事もあるその過程を、ここではお弁当屋さんが繋いでいるのです。

私事になりますが、専業主婦だった私の母は、私が就職して間もなく、亡くなりました。当時あまりにも当たり前の独身男性だった私は、母からほとんど料理や家事の手ほどきを受ける事がありませんでした。
そんな私が今は主夫として、妻や子供たちの食事やお弁当を作っています。私の料理の技術は、ほとんどが本や経験から得られたものです。けれども、時々、ふっと感じる事があるのです。

ちょっとした味の加減に。思いつきで加えた食材の選び方に。炊きたてのご飯を握る手の赤みに。私はそこに、母から受け継いだものがあるのを感じます。それは、私の子供達が、彼らにとっては祖母に当たる人から、ついに受け取る事のなかった、あり得たかもしれない慈しみの片鱗であるように、私には思えるのです。

昨年父を失った時には、人生の端っこを掴む手がなくなったような、寄る辺ない気持ちを味わいましたが、私の中には、意識せずとも、父母から受け継がれたものがあるのでしょう。
それは良いものばかりとは限りません。だから私は、その中から最善の部分をより集め、家族や、私と触れ合う人に繋いでゆく事を願います。

そして、願います。皆のところにも、大切な何かが繋がれて届きますように。皆が誰かから受け取った大切な何かを次の大切な誰かに繋いでいけますように。

そしてまた、家族や友人を失った人たちや、様々な事情でそもそものはじめから今まで充分なものを受け取れなかった人たちにも、これから誰かから大切な何かが手渡され、また何かを手渡したいと思う大切な相手が見つかりますように。

編曲、というより和声付け程度の仕事しかしていないんではありますが、この曲を選び、合唱という形で演奏したいと思ったのは、そんな風に思った結果です。

この曲を通して、私もまた、少しでも何かを、歌ってくれる人たちや、聞いてくれる人たちに、繋いでいく事ができますように。
posted by けいりん at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 合唱 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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