2020年01月06日

ロイス・マクマスター・ビジョルド『スピリット・リング』







てなことを書いたんだけど、その後こんな記事を思い出したり。

以下、ネタバレを含みます。


そもそも、あのミソジニー満載の異端審問指南書として悪名高い『魔女の鉄槌』の著者を敵役として設定してる時点で、「男と同じ技術を使うのに女は魔女とされてしまう」という問題に突っ込みたい気持ちは著者にもあったはず。
フィアメッタのこんなセリフもその問題をかすめている。

教会はわたしたちを悪から守ってくれるんじゃなかったの? 馬で田舎をまわって、隣人の頭にシラミをわかせたとか、結局はほとんど効かないくだらない媚薬を作ったとか責めて年とったまじない婆を怖がらせたり…(p356)


これに先立つモンレアレ修道院長の言葉もあって、どちらにおいても彼女たちの手にした力が「結局はほとんど効かない」もののように言われているのだけれど、これはいささか偏った、控えめな評価だと思う。というのは、本書終盤でフィアメッタの行ったことについてモンレアレが恐れるように、あるいはモンレアレ以外の修道士たちがフィアメッタが何かを主張することを断罪しようとする通り、女たちの技術は、実効性がある場合も、正しくないもの、邪悪なものとして裁かれていたらしいから。

竹良実『辺獄のシュヴェスタ』は、薬草や民間療法の知識に詳しい主人公の養母が、そのことで魔女の疑いをかけられ、異端として処刑されることを発端とする物語で、「魔女の娘」を集めた修道院では、普通の女たちが扱えば異端として処刑されかねない知識を使って奇跡を演出している。



ル=グウィンのかの《ゲド戦記》でも、初期三部作ではちゃんとした「魔術」は男の技とされ、女が扱うものは卑しい「まじない」でしかない。

しかし実際の歴史ではどうだったんだろうね?
女が経験に基づき実際に効き目のある薬草や民間療法の技術を手にしている間、男の方は本当に、それに匹敵するちゃんとした技術を持っていたんだろうか? 薬草の知識を魔法として断罪してたんだとしたらそっちの方がひどい蒙昧な迷信だし、四気質説だとか瀉血だとか、どうにも女が手にしていた知識に比べて少しもましだとは思えないんだけど。

(『辺獄のシュヴェスタ』では権力を持つ者もまた女なのだけど、彼女自身知力と知恵と技術を持ち、その点においては並み居る(男性の)権力者たちの上をいく存在のように描かれている)

なにかこう、「信仰の名を借りた迷信」とでも言いたくなるような、そんなものが男社会を支配していたんではあるまいか。

だとしたら、現代の魔女宗は「男のものである技術」に反抗しスピリチュアルな方面に向かうより、むしろ、「その技術は元来女のものだ。男が簒奪したのだ」くらいの主張をかましてもいいような気がする。

まあちゃんとした知識のない放言だし、私程度の考えつくことはとっくに誰かが考えてると思うんで、フェミニズムにはそんな主張をする一派もすでにあるかもしれないけど。

そんなわけで、フィアメッタにはやっぱり「森の魔女」として大成してほしかったなと思っちゃうのよね。


posted by けいりん at 16:18| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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