2005年07月15日

【ナイショ】第12話『7人目の魔女見習い 〜のんちゃんのないしょ〜』

 当然ずいぶんまえに観てたんですけどね。
 娘の入院騒ぎで、2重の意味で、今まで書くことができませんでした。

 そもそも予告をみた時から、嫌な予感はしていたのですよ。
 バンダナを巻いた、確かに髪がないとわかる女の子が、病院のベッドに寝てるってだけで、もう。
 しかも僕らは、「7人目の魔女見習いなどいなかった」(まあハナちゃんは別にして)ってことを知っているわけじゃないですか。
 これが「泣かせ系」でなくてなんだろう、と。

 予想どおりでした。
 嗚咽と言うものが漏れたのは人生で2度目ぐらいかもしれない。アニメを観て、というなら間違いなく初めてでしょう。
 
 そして、いい作品だと思います。
 「魔法を信じる心」は、こういった「女の子という記号」を基盤にした作品では、純粋さやかわいらしさの現れとして不必要に持ち上げられる場合が少なくありません。本作も、そこから完全に自由だとは言えないでしょう。事実、のんちゃんと同室の子どもたちとともに夜空で遊ぶシーンは、魔法が使えることの素晴らしさを、無批判に描いているようにも見えかねません。

 けれども。
 「怪我や病気を直しては行けない」というのは、本シリーズにおける、重要な「縛り」でした。こう言ったいくつかの「縛り」は、「魔法」を単なるフィクションではなく、よりリアルな名似科を映す鏡として捉えさせます。魔法があってもできないことがある。魔法があっても失われて行くものはある。この無力感。この喪失感。

 Auch das schone muss sterben.....

 けれども。
 どれみがのんちゃんのお母さんに「雪合戦しようよ!」と声をかけた時。
 そんなことでは、確かに失ったものはかえってこないけど。
 そんなことで、悲しみがいやされることも、決してありはしないけれど。
 泣きながら、雪合戦をするどれみとのんちゃんのお母さんの姿には、それでも、なお、一つの救い、いえ、救いと呼ぶにはあまりにもささやかな、けれども確かな光が、ありはしないでしょうか。

 Auch ein klaglied zu sein im mund der geliebten ist herrlich.

 そして、のんちゃんと同じ病室だった男の子が魔法堂の扉を開けた時。
 そこには確かに、「魔法でも救えない物がある」事の意味が、込められていたはずです。

 この体験を経たどれみが、1年以上後に「不死」を拒む、というのは、とても意味のあることだと思います。
posted by けいりん at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | おジャ魔女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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