2007年08月13日

今更なおジャ魔女話

 僕がなんでおジャ魔女にこうまでハマったか。

 それはもちろん、僕が「はづきっち萌え〜」な見下げ果てたキモいヲタク野郎だから、という理解で別にかまわないわけなんだけど、あまりマメではなく、根性というものが決定的に欠如している僕が、一つの作品を追いかけ続けるようになるには、ほとんど必然的に何らかのきっかけっていうものがあったわけで。

 ああ、そもそもは日曜朝8時から始まった、『仮面ライダークウガ』を見始めたのが先だったんだっけ。
 広告に引かれて見始めて、ものの見事にはまって。余談だけど、新ライダーシリーズは一部を除いてほとんど追いかけ続けてきたけど、今に至るまでこの『クウガ』を越えるものには出会っていない気がする。『響鬼』にはちょっとその可能性が見えたし、現在放映中の『電王』は、全く別の形でとても面白いと思うけど。

 さて、おジャ魔女。
 初めて見たのは『も〜っと』32話、『ももこのママ修行』だったと思う。てことは『クウガ』は終わって『アギト』がやってた頃かな? たまたまテレビつけっぱなしにしてたら目に入った、てだけなんだけど、「……子育てアニメ?」ってのが印象に残って。確か当時夕方にやっていた風水アニメの存在とあわせて、なんつーか、「長生きしてるといろんなもの見るなあ」的な感慨を覚えたものだ。

 以来、何となく気にかかってはいたものの、特別追いかけるということもないまま時は過ぎ。
 次に、やはりたまたま目にした同第42話『ドキドキ! ふたごの不思議な魔法』に、初めて強く惹かれる。
 最近バッシングを受けがちな「ジェンダーフリー」的なテーマを、子供向けならでのリアリティとともに、さりげなく語った本作は、今でも僕のお気に入りの一編だ。

 ここから、ライダーや特撮ものと一緒に録画してみるようになり始め。
 わずか3週後、僕は決定的にこのシリーズにハマることになる。
 第45話『みんなで!メリ−クリスマス』。
 不登校だった、今は保健室登校をしている、どれみのクラスメートかよこが、不登校のになるきっかけを話し、そのわだかまりを乗り越え、教室へと向かう話。
 感動のストーリーもさることながら、かよこの性格そのままに、大げさにならない、抑えた表現でそれを語り、包み込むような暖かいまなざしを感じさせる演出は、まさに傑作と呼ぶにふさわしい出来だった。

 最終シリーズ『おジャ魔女どれみ ドッカ〜ン!』放映終了後、レンタルで第一シリーズを視聴し、以降は子供ができたため、返却期限を気にしなくてよいように、中古でこつこつ買いそろえて、古いシリーズを見続けてきた。
 それが先日、ようやくこの『みんなで!メリークリスマス』までを見終わって。
 これでだいたい、すべての話を見終えたことになるわけだけど。

 全シリーズ通しての最高傑作は、『ドッカ〜ン!』第40話『どれみと魔女をやめた魔女』だと思う。ただ、先頃テレビでも放映されたアニメ映画『時をかける少女』の監督、細田守氏を演出に迎えた本作は、魔法を使うシーンが全くない上、「見せ方」も他の作品とは一線を画する異色のものであり、全作品のテーマ、今後のストーリー展開に密接に関わっているとはいえ、番外編的な色彩が強い。一本のジュブナイル短編として単独で見ることさえできる本作は、僕にとって「おジャ魔女」という枠を超えた、一本の「傑作短編アニメ」なのだ。

 こういったちょっと特殊なものを離れて、通常の「おジャ魔女」の中での、最高傑作は何だろう、といわれたら。
 僕はやはり、『みんなで! メリークリスマス』と、それに先立つ2本(第20話『はじめてあうクラスメイト』、第38話『学校に行きたい!』)をあわせた、「かよこ3部作」じゃないかと思う。

 『おジャ魔女どれみ』のテーマの一つに、「やさしさ」がある。
 もうちょっと詳しくいうなら「人の気持ちを考えることができるやさしさ」ということになる。
 正直、その表現の仕方には首を傾げたくなるような場合も多い。例えばルールよりも「やさしさ」や「相手の気持ち」が優先されるような話もいくつかあって、ちょっとどうなんだかな〜と思ってしまう。いや、四角四面にルールを守るべきだと思っているわけでもないんだけど。

 それらとは逆に、そういったやさしさが、最善の形で表現されているのが、この3部作だと思う。
 一つのテーマに3回を費やしたスタッフ自身の「やさしさ」。それがこの成功を生んだのかもしれない。





 なんて書いてもどうせみんな見ないでしょ?
 だから以降はネタバレ。

 『みんなで!メリークリスマス』のクライマックス。
 皆の励ましにあって、保健室から教室へと向かうかよこ。
 でも廊下の真ん中で、不安と恐怖から吐き気を覚え、うずくまってしまう。
 そんなかよこに、どれみは言う。
 「吐きたいなら、吐いていいよ!」
 そして自分の服を拡げる。さあ、ここに吐いていいよ、と。

 ここだけ取り出すとちょっとベタで大げさに感じるだろうけど、むしろ抑え気味だったここまでの流れとあわせると、本当に感動的なシーンなのだ。

 



 僕は思うのだけど。
 「人に迷惑をかけない」というのは、確かに立派な態度だと思う。
 人に迷惑をかけない、自立した大人。それは、人が目指すべき理想であるかもしれない。

 けれども。
 他人に迷惑をかけられることを、無制限に拒否する態度、というのは、一体どうなんだろう。
 自分以外の人に迷惑をかけていると思われた相手をさえ、糾弾し、否定するような行為って、どうなんだろう。
 すべての「他人への迷惑」を否定する社会って、本当に正しいんだろうか。

 無制限に迷惑行為を許すことが正しいとは、僕にも思えない。暴走族はこの世から消えればいいのにと思っているしね。

 けれども無制限な「迷惑」の否定も、やはり正しいとは思えないのだ。

 結局、僕らは誰かに迷惑をかけることでしか生きられないはずじゃないだろうか?
 それに甘えることなく、努力を続ける態度は必要だろう。
 だからといって、他人に迷惑をかけられること、すべてを否定するような狭量な社会は、あまりにも生きづらいし、争いを増加させるだけであるように思う。

 僕らは、主体的には「人に迷惑をかけないように」と思いつつ、一方で、「他人の迷惑をある程度許容しよう」という態度をも、育てるべきなんじゃないか。

 迷惑はかけないようにしながら、かけてしまっている迷惑には最大限自覚的であるようにすること。その辺りがとっかかりになるのかな。
posted by けいりん at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | おジャ魔女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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