2007年10月31日

へっぽこSFファンによる、SF初心者のためのSF案内(第6回)

けいりん(以下「け」):どうなんだろ、今まで薦めてきた本って本当にみんなにとって面白いのかなあ。

ケイリソ(以下「ケ」):めずらしく謙虚ですね。

け:めずらしくとは何だ、俺様はいつだって謙虚この上ないぞ!

ケ:えーっと。

け:前回はいいんだよ、ミステリファン、それも「大きな仕掛け」が好物のミステリファン限定ってことで。でも『象られた力』とかは、やっぱり初心者にはちょっとキツいかなあという気もしなくもなかったり。

ケ:まあ好みは人それぞれですからね。こちらは信念を持って勧めればいいのでは。

け:そうはいってもSF離れをすすめてしまっては元も子もないからな。
 今回はぐっとくだけた物を選ぶ事にした。




『移動都市』フィリップ・リーヴ/創元SF文庫


ケ:……都市が移動するんですか?

け:その通り。
 舞台は遥かな未来のヨーロッパ。「60分戦争」と言われる大戦争によって文明が荒廃した世界。戦争の余波による大変動の中を生き延びるため、人々が選択したのが「都市ごとの移動生活」だ。「都市間自然淘汰主義」に基づき、それらの都市は互いに食ったり食われたりを繰り返している。それは変動の収まった今でも、多くの人にとって当たり前の現実となっている。

ケ:なんだか想像しにくいというかものすごいというか取っ付きにくそうというか。

け:いやいや、そんなことはないぞ。面倒な背景等は無視して、「キャタピラで移動する、巨大な都市」というものを想像してみれば、ジブリのアニメみたいな映像にならないか?

ケ:うーん。まあ言われてみればそんな気もしますが。

け:そんな移動都市同士が「食い合う」。これはまあ全く文字通り「食う」と思ってくれて間違いじゃない。「口」を開き、相手の都市を粉砕し、取り込んで、あとは作業員の手によって、有用な部品、燃料、労働力としての住民などを、自分たちが移動し続けるための資源として活用するわけだ。このへんも宮崎アニメ的に想像できると思う。

ケ:宮崎駿ににこだわってますね。

け:うん。実はこの本、他にも「まるで宮崎アニメのような」といいいたくなる要素がたくさんあってな。都市間の移動に使われるのが主に飛行船であるという点や、古代兵器が物語の鍵になる点もそうだし、気のいい女飛行船乗り(実はスパイ)、ちょっとコミカルな海賊、冷徹な支配者、冒険を夢見る少年、古代文明の遺産である(半)機械兵士など、キャラクター配置にもとても近い物があると思う。飛行船乗りたちの集まる空中移動都市「エアヘイヴン」が出てきた時には、思わず「すごいぞ! エアへイヴンは本当にあったんだ!」と叫びたくなったな。

ケ:(笑)

け:そんなこの本のどこに「SFらしさ」があるかといえば、それはもう最初に説明した情景、それだけで充分と行っていいくらいにSFらしい。
 第4回で、ちらっと「SFは絵だ」という考え方について触れたが、本書のように、奔放な想像力によって異様な、けれども不思議な魅力をたたえた情景を眼前に描く事、これはハードSF的考証等なくても、充分SF的な仕事であるといっていい。

ケ:ファンタジーとはどう違うんでしょう。

け:まあそれほど厳密に分ける必要はないが、たとえ充分な考証がなくとも、または疑似科学的な説明によってであろうと、何らかのテクノロジーがその情景に不可欠であるなら、それは充分にSF的情景といえると思う。それに、ファンタジーの描く情景は、どちらかといえば既視感を土台に成立している場合が多い気もするしな。もちろん例外はあるが。
 話はそれるが、「架空のテクノロジーによって成立している架空世界」という意味では、ル=グィン《ゲド戦記》は、ファンタジーでありながら非常にSF的だと思う。むしろブラッドベリなんかのほうがファンタジー的と行ってもいいくらいだな。

ケ:はあ、なるほど。この異様な光景を味わう事こそが、SFのエッセンスの一つに触れる事だ、というわけですね。

け:その通り。
 ストーリーの方は、非常に古典的といっていい。冒険を夢見つつ閉鎖的な環境下で暮らす少年が、ある少女によって外の世界に出て、冒険の中成長していく、というのがおおざっぱな筋だ。

ケ:ますます『天空の城ラピュタ』のような。

け:うん、まあ、『ラピュタ』自体、冒険物語の王道を突っ走った作品だからな、この粗筋からだけ「似ている」というのはちょっと違う気もするが、あちらこちらのモチーフも共通しているから、ひょっとしたら本当に影響を受けているのかもな。ただし、こちらの方がだいぶ殺伐としてはいるかな。特に後半では、 流血も多いし、いい位置にいるキャラクターが何人か死んだりもする。

ケ:子供向きではなさそうですね。

け:ところがこの本、元々は児童書として出されたものだ。いくつか児童書の賞も受賞しているらしい。まあ「殺伐と」とは言っても、確かに児童書の枠を超える物ではないかもしれん。最近の少年漫画の方がよっぽど過激なんではないか。
 もちろん、元々児童書だからといって敬遠する必要はない。ハリポタに始まる児童ファンタジーブーム以来、いやになるくらい繰り返された言葉を敢えて繰り返させてもらえば、「大人の鑑賞に十分堪える」作品なんだ。

ケ:子供にとって本当に面白い物は、大人にとっても面白い、ということでしょうか。

け:まあそういうことかな。
 それともう一つ、『ラピュタ』との大きな違いを指摘しておくと。
 実は、今年の夏、日本で初めて開催された「世界SF大会」ってのに行ってきてな。

ケ:なんですかいきなり。

け:いやな、そこで、大会ゲストのデイヴィッド・ブリンというSF作家の話を聞いてきたんだが。彼がこんな話をしていたんだ。
 「SFは未来の文学だ。伝統をよしとし、変化を嫌うものはSFとは言えない。それは先人たちへの冒涜でもある。なぜなら人は失敗をする生き物だが、同時に先人から学ぶ事ができる生き物でもあるからだ。先人の失敗に学び、同じ過ちを繰り返さず、新しい事を成し遂げることこそが、先人たちへの真の敬意の表れなのだ。そしてSFは、過去への回帰や伝統の維持ではなく、常に新しい物、新しい価値観を描くべきだ」
 この通りに言ったわけではないが、だいたいこんなような内容の事をな。正確な内容が知りたければ発売中のSFマガジン2007/12月号に内容が採録されているので、そちらを読んでほしい。

ケ:はあ。

け:俺自身は、この主張に全面的に賛成というわけではない。SFという枠はもっと広いような気がするし、過去とか未来の扱いについても、もっと連続性を基本にした捉え方ができるんではないかと思っている。だがその一方で、過去にとらわれるべきではない、というところでは共感しないわけでもない。
 で、『移動都市』だが。
 もはや移動の必要はないのに「移動都市である事」にこだわり続け、あげくの果てに過去から恐るべき兵器をよみがえらせてしまう一派を、主人公の少年少女たちが止めようとする、という後半のストーリーには、この言葉を思い起こさせるところがあったな。彼らに協力するのが「歴史ギルド」の年寄り連中だというあたり、一筋縄ではいかないがな。
 『移動都市』と『ラピュタ』は、ともに「地に足の着いた生活」を最終的には目指しているようにも見えるが、主人公が伝統を打ち破ろうとするか、冒険の末伝統的な生活に回帰するか、という点では、全く正反対のベクトルを持っているようにも思えるんだ。
 もっとも、最終的によしとされているのは「60分戦争」以前の生活だったりもするので、完全にこの図式に当てはめて考えるのはやはり無理があるかもしれんがな。それでも、この作品のテーマの一つに、「伝統や既存の社会規範から抜け出す少年」という、これまた少年冒険物として王道であり、かつSFの一つのあり方を示すものがあるのは、否定できないところではないかと思う。

ケ:伝統からの逸脱、ですか。

け:この作品が必ずしもその深みに到達しているわけではないが、このように、「見慣れぬ驚異の世界」をもはや「伝統」となっているものとして描き、我々の普通の生活を「忘れられたもの」として描く事で、「伝統」という概念自体を相対化し、多層的に描く事ができるのも、SFの一つの強みだな。
 これは一冊で完結した物語ではあるが、同時に4部作の開幕編でもあるらしい。続刊で「伝統とテクノロジー」といった問題にどのような解答が出されるのか、期待して待ちたいところだな。ちなみに2巻『略奪都市の黄金』は来月発売予定との事だ。

ケ:それまでに読んでおけ、って事ですね。

け:いやもちろん4作そろったところで一気に、というのもありだとは思うが。
 なお、この作品はSFファンの投票により決定される星雲賞の、第38回海外長編部門を受賞した。SFファンのお墨付き、って事だが、語ってきた通り、難しい理屈も知識もなしに、SFファン以外にもお薦めできる、痛快な冒険活劇だ。さあ、今すぐクリッククリック!

ケ:アフィリエイト収入狙ってますね。

け:………また来週〜!

ケ:あ、逃げた。
posted by けいりん at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 初心者に薦めるSF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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