2007年12月06日

へっぽこSFファンによる、SF初心者のためのSF案内(第10回)

けいりん(以下「け」):さあ、第10回だが。

ケイリソ(以下「ケ」):はい。

け:何打よ、その素っ気ない返事。

ケ:だって結構ここまでぐだぐだでしたしねえ。落としたり落としたり落としたり。

け:そんな中無事ここまでたどり着いたのだ、めでたいと言わんか!

ケ:あーめでたいめでたい

け:ぐぐっ。こいつめ。

ケ:いーから始めましょうよ。記念すべき第10回の紹介作品は何ですか。

け:……ま、いいけどさ。
 今回はせっかくなので、ちょっといつもとは趣向を変えてみた。あらかじめ言っておくが、今回紹介する作品はSFではない。

ケ:ハァ? 一体何を言い出すんですか。この連載のタイトルを裏切る気ですか。

け:いやいや、ところがどっこい。非SF作品の中にも、我々SF者の心をとらえる要素を持った作品はたくさんあるわけでな。第一回、第二回で紹介したのは、それでも「SF者に言わせれば立派なSF」という作品であったわけだが、今回はどこから見てもSFとは言えない、だがSF的面白さを持った作品を紹介しようと言うわけだ。

ケ:番外編的な試みですね。

け:そうだな。しかもシリーズ9冊一気にまとめてご紹介と言う大盤振る舞い。すなわちこれだっ!










ケ:ファンタジー、ってことですかね。

け:そうだな。まあSFとファンタジーってのは割と近しい関係にあって、読者層も被ってたりするので、あまり意外ではないかもしれんが。なんなら純文学作品の中にもSF心をくすぐる作品はたくさんあるんだが、そう言う者の紹介はまた次の機会、ということで。

ケ:9冊とはずいぶん多いですが。

け:なに、気にする事はない。基本的に一話完結だからな。ただ、やはり書かれた順に読むのが望ましいとは思う。『月の影 影の海』『風の万里 黎明の空』『黄昏の岸 暁の天』は、一つの流れの中にある作品だし、他の作品では時系列も場所もがあちこち飛ぶものの、後に連なる作品にとって重要な意味を持つエピソードも多いからな。

ケ:で、どういった話でしょう。

け:とりあえず1作目『月の影 影の海』だが、一言で言うと「異世界に行ってしまった平凡な女子高生の冒険」だな。

ケ:うわ、なんだかすごくベタですね。

け:ふふふ。ところがそうではないのだな。

ケ:と言いますと。

け:まず、上記の説明から想像される萌え要素が、この作品にはほとんどない。

ケ:というとドジだったりメガネだったり巨乳だったりは……

け:しない。全然しない。普通程度のドジはあったかもしれん。でもいわゆる「ドジっ子」ではないし、語尾に「〜にゃん」とかついたりもしない。

ケ:まあそこまで行ってない作品なら他にもあるでしょうけど。

け:うん、そりゃそうなんだが、言わんとする事はわかるだろ。

ケ:ええ、まあ。でもさっき、「ほとんど」って言いましたよね。

け:そう。それがなかなか重要なんだな。まず「異世界に渡る女子高生」という設定自体が「萌え要素」を形成している、というのが一つ。この異世界の人々が、色とりどりの髪の色をしている、という点が一つ。等身大の、人語をしゃべる動物が出てくる、というのが一つ。探せば他にも出てくるかもしれんが、こういった、描写によっては「萌え要素」となる部分は、確かにあるんだ。
 ところが小野不由美はそれを「萌え」的に描写はしない。あいや、最後の「人語をしゃべる獣」については、どうしてもある種の萌え感が出てしまう部分がないとはいわんが、間違っても「〜にゃん」「〜だわん」とかしゃべったりしないというか、まあやはり狭義の「萌え」〜は一線を画していると言っていいのではないか。髪の色については、世界の異質さを際立たせ、主人公の現実世界での、そして異世界での体験に大きく関わってくる重要な要素ではあるんだが、堅い描写によって萌えの入り込む隙間などないし、異世界への移動については、これはもう恐怖すら感じさせる描写になっている。

ケ:うーん。わかりましたけど、それではなぜ一見すると「萌え」っぽいものがちりばめられているんでしょう?

け:それはもう一つの「このシリーズがベタでない理由」とも関連する話だ。
 それは一言で言えば、この異世界が、全然甘くはない、ということだな。

ケ:甘くない?

け:そうだ。この作品の舞台は確かに別の法則の支配する異世界ではある。だがここには、都合のいい魔法も、万能の味方もいない。主人公は飢え、血を流し、人を疑い欺いて、遍歴を続けなければならない。約束された運命はあることにはあるが、それすらも、戦いとらなければならないものとして描写される。
 別の言葉で言えば、この作品は徹底して「リアル」なんだな。

ケ:なるほど。で、先ほどの質問の答えは。

け:それはずばり、この作品が「甘いファンタジーへのアンチテーゼとして書かれているから」だな。おそらく著者は、先ほどあげた萌え要素やベタなあらすじ、「運命に選ばれる」などといった要素を、全て意図的にこの物語の組み立てに使った上で、それをひっくり返して見せているんだ。それは「現実は甘くないけど、どこであれ生ていくっていうのはそういうことなんじゃないか?」という問いかけであり、この厳しいリアリティ故に、この作品は似たような設定をもつライトなファンタジーとは一線を画しているんだと思う。

ケ:なんだか重そうですね。

け:うん、重い事は重い。だがこの重さは、決してただの「暗さ」ではないと思う。小野不由美が描くのは、最終的には、それでも前に向かう主人公の姿だからな。ストーリーの起伏にも富んでいるしぐいぐい人を引きつける力がある。

ケ:なんだか終わってしまいそうな流れですけど、肝心のSF的要素って言うのは。

け:おお、そうだったな。
 前に『ゲド戦記』を例に出して、「ある種のテクノロジーによって成り立つ世界が描かれた作品は、ファンタジーであれSF的といえる」みたいな話をしたな。
 この作品についても事情は似ている。といっても、この世界の成立にテクノロジーが関わっているわけではない。そう言うわけではないが、この作品世界、仕組みが実にシステマティックなのだ。
 まるで誰かがデザインしたかに見える地図、政治的な仕組み、「天意」が働くやり方。詳しくはぜひ一巻を読んで主人公と同じ目線で体験して欲しいが、それらがいちいち、何者かの意思を感じずにはいられないほどシステマティックで、自動的だ。
 これはオレの私見なんだが、「世界をシステムとして描きたい」という欲求は、ある種のSFの深いところにあるのと同一のものなんではないだろうか。同じ欲求はある種のオカルティズムや物理学なんかの底流としても存在しているが、「科学(時には疑似科学)」を武器に想像力を羽ばたかせるSFは、文学ジャンルの中ではミステリとならんでこの欲求を強く表現しているといっていいだろう。

ケ:そしてこのファンタジーシリーズの世界観も、同じ欲求、同じ想像力に支えられている、という事ですね。

け:そうだ。著者の小野不由美は元々ミステリ研出身で、現在入手こんなんとなっている古い作品のタイトルなどを見ると、SFファンである事もわかる。また、これも入手困難(コミック版は発売中)となっている《悪霊シリーズ》は、ローティーン向けライトホラーではありながら、作中での心霊現象の扱い方などはほとんど「科学的」といってよく、容易に手に入るのであればこちらを「もろSF」として取り上げたいくらいだ。そういう著者のファンタジーだからこそ、こういう世界観になったのだろうな。
 二作目以降、一作目に会ったようなリアリティは若干薄れ、ご都合主義と紙一重の展開も目立ってくるが、「甘くはない」という部分はちゃんと残っているし、ご都合主義といってもそれはそれで時代劇的快感が味わえる「極上のご都合主義」なので、楽しめると思う。システムとしての世界、という点では、最新長編『黄昏の岸 暁の天』が、システムを作った者の意図はどこにあるか、というところにまで話が広がりそうな予感をにおわせていて、続刊が待たれるところだ。最後の『華胥の幽夢』は短編集で、長編を一通り読んでからの方が味わい深い。

ケ:それでは時間をかけて楽しむ事にします。

け:うむ、ぜひそうしてくれ。また来週!
posted by けいりん at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 初心者に薦めるSF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。