2004年10月20日

【ナイショ】第一話 感想その2

こちらを書いたあと、もう一度観る機会があって。
ああ、オレは何を書いてるんだ、と。

そんなわけで仕切り直しです。

まずオープニング曲。確かに『も〜っと』主題歌の『おジャ魔女でBANBAN』に顕著なナンセンスな味は一歩交代しているし、そう言う意味では「破壊力がない」というのは今でもそう思う。わりと普通の曲になっちゃったなあ、と言えば言える。

だが、イントロの「ナイショよナイショよ・・・」ってのを聞いたとき感じるこのワクワク感はどうしたことか。ここには確かに、かつての『おジャ魔女』シリーズ主題歌と同等のものが残っているのだ。それは何か? 僕は多分、「祝祭感」だと思う。宿題を全部ゴミ箱に捨ててしまい、トラブルをドリブルでかわした、あの無意味な元気さ。多少ナンセンス味が薄れたところで、それだけは消え様がなかったってことか。

また、このオープニング映像、リバイバルシリーズならではっていう総出演感がけっこうたまらない。主人公たち以外のクラスメートが個性豊かに描けていることも、僕がこのシリーズを好きだった理由の一つだからだ。

さて、本編。
どれみ→小竹に関する違和感の話だけど、これはよく見るとやはり他のおジャ魔女たちが勝手に盛り上がっているだけ、と言う感じで、さほどの違和感を感じさせるつくりにはなっていなかった。

前回書かなかったことで改めて取り上げておきたいのは小竹の描写。
自分の頼りなさへの自覚に始まり、いくつかのミスに次々追いつめられて行く小竹の表情は、見ていてとてもイタい。こう言うミスって、誰に責められるより前に、まず自責の念だけでいたたまれなくなるもんだ。それ以前に「頼りになる他人」と自分を引き比べてしまうようなことがあったらなおさら。ミスが発覚して行く以前のお調子っぷりも含めて、なんだかどこかで覚えがありそうな、そんな痛み。この心理描写を、無意味に熱い怒鳴り声で語らせることなく、丁寧にやっている辺りがいかにもおジャ魔女で素晴らしい。

だがしかし、だからこそ、最後の救いは少々安易にも思えてしまう。もちろん前回も書いたように、「楽しくやること」を優先する、これまたいかにもおジャ魔女な結論を、僕は愛する。しかし、一度感じてしまった痛みからは、人はそう簡単に逃げ出すべきではないんじゃないだろうか。痛みを感じ続けることのほうが「前向き」であるような局面って、あるような気がする。

もう一つ、過去のシリーズにも時々感じたことがあったけど、最終的に男の子と女の子の違いを無批判に肯定するかのようなどれみの最後の台詞はちょっとなあ。も〜っと42話『ドキドキ!ふたごの不思議な魔法』みたいな良作を含みながら、結局は「女の子」的な記号の上に展開しているシリーズの限界を見た思い。

結論としては、とかなんとかいろいろ考えさせてくれたってことで、前回の評価「おジャ魔女としては平均的」から、2ランクほどアップって感じです。
posted by けいりん at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | おジャ魔女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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