2004年11月05日

責任ということ

世間を騒がせている(「いた」かな?)「自己責任論」の話ではありません。それについては書きかけのがあるんけど、まあ、そのうち。

で、こちら。少し前(といっても書かれてから半月ぐらいはたっていたと思います)に久しぶりに見に行ったら発見して、以来ずーっと気になっていたのですが。

ここで引用されているコメントの「友人」って、私のことなのですね。

まーね、「他人を不快にするカキコ禁止」っていうのは「あと付け」で、結局「俺を不快にするな」ってことでしょ。(中略)そうならそうといやあいいのになんで「みんなが不快に思うから」とか言い出すかね。「オレ不快だから削除」のほうが好感持てるよ、はっきりいって。

まーなんでも「オレ」を出すのもどうかと思うけど、
なんでも「みんな」を出すよりはマシだってこと。


こう思っているのは今でもかわらんです。
えっけん氏の引用した文脈に誤解があるとも思いません。むしろかなり正確に理解しているのではないかと感じます。

ただ、改めて強く主張しておきたいのは、私にとって最大の問題は、「『みんな』って誰よ?」ってことではないということです。

私が上記のような、あるいはリンク先に書かれてあるようなシチュエーションでの「みんな」という言い方に強い不快感を持つのは、それに数的、統計的な根拠が希薄であるためではなく、なんていうのかな、それが責任回避の「言い訳」として機能しているように見えるからなんです。

これはえっけん氏も似たようなことを書いてるけど、私が思うに、こういう物言いをする人にとって、「みんな」っていうのはある種の「権威」なのですよね。その意味では小学生とかがたまに口にする、「だって先生が言ってたもん」ていうのと基本的に変わらない。

小学生ならいいんですよ。子どもと言うのはまともな判断力を持たないものであり、かつ将来独自の判断力を持つことができるようになるためには、適切な権威の存在は不可欠とすら言えるでしょう。

けれども、ですね。
いい大人が、ですよ。
例えば「だって母ちゃんが言ってたもん」なんてことを言ったら、みなさん耳を疑うでしょ?
まあ実際には、「だって**大学の教授がおっしゃるんだから」とか「みのさんが言うなら間違いないわ」みたいなことは大人でも言ったり、口に出して言わないまでも判断材料にしてることは多いわけなんですが。
しかしですね、数学の証明とか、そういう極度に専門的な人でないと理解すらおぼつかないようなことならともかく、充分自分で判断できるようなことや、あるいは判断のためにはより多角的な情報収集の必要があることについてまで、ただ一つの権威を頼るっていうのはどうなんでしょ。数学の証明にしたって、たとえばなんか難しい定理を証明しましたって人がいたとして、それが充分な数の専門家から認証を得ているかどうかってことを確かめない内に鵜呑みにするっていうのは、少なくとも軽率だと思うのですよ。

多くの場面で「専門家の意見」は耳を傾けるに足るものであることが多いかもしれません。けれども、最終的に判断するのはいつだって自分で、自分が「私はこう思う」と言う時、その最終責任者は自分であるべきなんじゃないですかね。

ましてや、「みんなが**だから」っていうのは。
たとえ、(全員と言うことはあり得ないでしょうが)「みんな」と言うにふさわしい数の人が、(これまた全く同じと言うことはあり得ないでしょうが)似たようなことを考え、大筋において同意している事柄であるとしても、最終的にそれに同意する/しないを決めるのはやはり自分に他なりません。ここまでは「先生」「お母さん」「教授」「みのさん」なんかといっしょで、それだけでも責任逃れとしては充分すぎるぐらいです。「みんな」を頼る場合に大きく違うのは、それが、第三者には検証不可能な実体のなさを持っており、かつ完全に責任の中心を隠してしまっているという点にあります。

「検証不可能」について、それこそ有意な統計をとれば検証は可能なのではないかと思われるかもしれませんが、事実はそう簡単ではなく、「みんな」の示す範囲は実は非常に曖昧なものなのです。「現に問題に関わっている人間の集団」であるといった場合もあるし、「日本の中流サラリーマン家庭」のような庶民的イメージによって定義される場合、あるいはある雑誌やサイト、掲示板等をマメにみている特定の集団といった場合もあるでしょう。この曖昧さによって、第三者が有意な統計をとることは非常に困難になります。極端に言えばいくら統計的数字を示しても相手に取ってはいくらでも言い逃れ可能なのがこの「みんな」という概念であって、それを防ぐためには「みんなって誰よ」と言う問題を持ち出さなければなりません。しかしそういう追求そのものが「みんな言ってるんだもん」と同様の幼稚な発言と取られかねませんし、ひどい場合には「常識で判断しろ」の一言で片付けられてしまう。「常識」というのも思考停止の末に問答無用で論敵を切り捨てる、一種の「逃げ」ではあるわけなんですが、一度「常識」をたてにした人間にはそんな反論は通じませんわな。

さらに、この概念の曖昧さは、一体最終的には自分が何(誰)を論破すればいいのか分からないという事態をひきおこします。しかも、相手にとっては、それが論理的に論破されたところで、全く痛くも痒くもないのです。なぜならたった今論破された意見は、そもそも自分のものでもなければ自分が精神的支柱としていた誰かのものでもなく、「みんな」という極めて曖昧な、おそらくはなんの実体も持たない幻想であるからです。議論の責任は、言ってみれば「無限の傘連判」の中に限りなく拡散してしまうのです。

もちろん、現実にはそんなに簡単ではありません。たとえ「みんな」を引き合いに出したところで、それを実際に口に出したのが自分である以上、論破されることは何らかのショックや不快感、あるいは開放感をもたらさずに入られないでしょう。けれども「みんな」を口に出す背景には、先に述べたような形で責任を回避しようという隠れた動機があるように思われてならないのです。それは自己を「みんな」の中の一人、無名者の一人として埋没させようとする行為に他ありません。そう言う意味ではWEB上における「名無し」としての書き込みも、これに近い何かであるのかもしれません。

先のえっけん氏が引用した発言は、サイト管理者が自分の掲示板に付けた注意書きや、荒らしでもない一部の訪問者を排除する際に用いる「みんなが不快に思うような書き込みはやめましょう」などといういい方に関するものだったと記憶しています。そのような場合にしても、本来肝心なのは「みんなが不快に思っている」と判断する「自分」なんじゃないでしょうか。だとすればこれは最終的にはまさに「独断と偏見」によるはずの行為で、「みんなが」という民主主義的きれいごとですませていいのかな、という気がします。たとえ実際に(常連の)「みんな」が不快に思うような書き込みを削除したとしても、当該書き込みの主がそれを恨みに思った時に応対するのは管理者自身であるはずです。そんなときに「だってみんなが不快に思ってたから」で済ませるのは、管理者として責任ある態度と言えるでしょうか。少なくとも、その掲示板を自分がどう維持して行きたいか、常連と作っているコミュニティがどう言うものか、当該発言がどのような形でその場にそぐわなかったかを説明する義務があるはずです。(まあそうはいってもあまりにもひどい場違いとか、話が通じない人間と言うのは確かに居るわけで、そんな場合にまでいちいち誠実に対応していたんじゃ身が持たないと言う部分もなくはないわけですが。)

なんにせよ、何かを判断したり断言する行為と言うのは、ある程度、「自分を賭ける」行為であるべきだと私は考えます。その意味で、「みんなが…」という小学生(特に女子)的ものいいには、違和感や不快感を禁じ得ないのです。

だからしばしば私が断言を避けているんだというのはナイショ(爆)
posted by けいりん at 17:07| Comment(5) | TrackBack(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いや、僕は
>私にとって最大の問題は、「『みんな』って誰よ?」ってことではないということです

そういうことを言っているのではなく、
『責任回避の「言い訳」』が問題なんだ、ということを言っているつもりだったのですが。。。
伝わりにくかったかなぁ?
Posted by えっけん at 2004年11月05日 21:04
>最終的に判断するのはいつだって自分で、自分が「私はこう思う」と言う時、その最終責任者は自分であるべきなんじゃないですかね。

そうですそうです。
この件について、僕と貴方の思っていることには、なんら相違点はないものと思われます。
まぁ、だからこそ引用させてもらったのですけど。
「みんなって誰?」なんてことはどうでも良いのです。
要は「オマエはどう思っているのよ?」ですね。
自分ひとりではどうにも寂しいから、いもしない・あるいはいるかどうかも分からないような「みんな」を持ち出すんじゃねぇ、ということです。
統計をとってグラフでその根拠を表示したり、少なくとも同じ意見の複数のリンクを貼った上で、多数を主張し、己の正当性を少しでも高めるのならともかく、自分の考えをしっかりもちもしないで「○○が言ってたもん!」は、正直その幼稚さに驚いてしまいます。
特にブログって、個人の意見の主張の場の側面が強いと思うので、まずは「俺はこう考えている!」を主張し、その補助的な意味で、他人の主張を利用しろ、と。

自分のブログで、結構テキトーなWEB論を展開していることが多いのですが、案外鵜呑みにされている方も多いようで、正直困惑気味。
Posted by えっけん at 2004年11月06日 14:31
ここはコメント禁止かな
Posted by えっけん at 2004年11月06日 22:41
や、書きかけなので非公開にしてたんですが、TrackBack先に送っちゃってたんですね。どうもすみません。

>そう言うことをいっているのではなく

これに関しては公開時に読み直して訂正した部分がありますが、えっけん氏が「みんなって誰よ」ということを問題にしているとは私も考えていません。ただ、その後のコメントでの議論を見ていると、そこに話が行ってしまうケースが見られたので、予想されるそのような捉え方に対して、自分自身の立場を明確にしておきたいと思ったのですね。あー、要するにこの件に関してえっけん氏と私はほぼ同意見と行っていいと思います。
Posted by けいりん at 2004年11月08日 15:00
あ、多分なかなかコメントが反映されなかった故のダブり発言がありましたが、削除しておきました。一応最新のものをのこしたつもりですが、細かい訂正とかあったらすまんです。
Posted by けいりん at 2004年11月08日 15:02
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/967381

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。